高度な知的労働者は、無職と見分けがつかない?

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ビジポコ編集長に仕事の相談をしてみよう!のコーナーです。

 

仕事は楽しいですね。最高です。

そうでありながら、私たちはときどき無職に憧れを抱くことがあります。

 

実際に仕事をやめて無職になると何が起こるでしょうか。

最初の2週間ぐらいは楽しいです。さんざん寝て、好きな時間に起きて、インターネットもし放題。平日の昼からウロウロできるし、自由になった気がします。

 

最初はとても楽しいーーー。

が、段々と表現しようのない不安に襲われてしまいます。

その不安をかき消すため、また、ありあまる時間を消化するためなのか、無職の心には「生きるとは…」「働くとは…」といった、哲学といいますか本質論が浮かぶようになるのです。

 

10年前一時的に無職だったのですが無職仲間と「生きるとは」「働くとは」みたいな会話を延々と続け、時間を無駄にしていました。「働いた方がいい」とおせっかいな、いやありがたいアドバイスをしてくる友人には「「無」という職についてるんだよ!」と煙に巻き、こちらへの批判を断固として拒絶する姿勢です。そうしないと、アイデンティティが揺らいでつらくなるから…。

 

しかし、それから10年がたちデザイン思考を学ぶ過程で、気が付いたことがあります。一流のビジネスパーソンであるビジポコ編集長・河上も、「組織の意思決定とは?」といった問いを抱えているのです。

 

そして、GAFAMにも、そうした問いを続ける人がいるとのこと。たとえばAmazonには「買うとは」、Facebookには「コミュニケーションとは」と、問いを続ける専門家(?)がいると河上はいうのです。

 

ちょっぴり哲学な問いを立てる人達。果たして彼らは無職と同義なのか。哲学者なのか。それともまったく別の何かなのか。今回のビジポコは高度に知的化された専門職は無職と見分けがつかない問題についてみていきます。

【ビジポコの学び】

  • 無職は「無」という職についている(?) → 答えがでない問い
  • デザイン思考の問い → 問い直し作業
  • 技術とは   →  人を自由にすることで幸せにするもの
  • 目的学を用いれば、人嫌いというよりこれ以上のコミュニケーションがしんどい?という新たな仮説

 

無職の経済問題を解決するには

 

私の実家は自営業。ただ、仲が良かった両親は、それほどコミュニケーションをとっていないようです。「両親の間の情報が断絶している」という親の盲点をついて、私は両方の親から仕送りをせしめていました。

 

セキュリティホールをついて、家族をハックし、小遣いをせしめる。それを「デュアル小遣いシステム」と名付け、システムとして運用してました。つまり毎月お小遣いをもらっていたのです。

 

友人はそれを「今すぐ雷が落ちて天罰が下りますように」と非難していました。それでも私はデュアル小遣いシステムを運用し続けました。生きるためです。働けばいいのですが、「自分に向いている仕事とは?」「そもそも仕事とは?」といった本質論がおしよせるのと、世間に役立たない自分という受け入れがたいセルフイメージにあらがうのに必死でした。

 

ところで、”椅子とは?”

 

時は経って、働くようになった今です。ビジポコ編集部会議で編集長・河上が「組織の意思決定とは?というところから入る」と言い出し驚きました。なんと!一流のビジネスパーソンが無職と同じことを!と興奮したのです。「編集長もぉ、私と一緒じゃないですかあ~」

 

果たして高度な知的専門労働者は無職と同義なのか。それとも違うのか…

 

質問をぶつけてみたところ、「哲学というより、本質論であり、デザインなんですよ」という話が始まりました。

 

河上「たとえば、「椅子とは何か」という問いを立てます。」

私「椅子は椅子じゃないですか?」

 

足がついて座面がついていれば椅子なのか。

車止めに座っている若者は、車止めを椅子にしてはいないか。

路上にはみだす飲み屋さんは、ビールケースを裏返して椅子にするが、あれは椅子なのか。。。

つまり、椅子を”問い直して”いく。

 

その問い直しこそがデザインだというのです。

 

技術とは人を自由にするもの

 

問い続ける日々を経て、編集長はある日ヤマハ株式会社の新規事業推進室のデザイナーと議論する中で「技術とは?」という話になったそうです。

 

そこで、技術とは「人をナニカから解放し自由にするもの」という結論を得たのだそうです。

たとえば眼鏡。めがねは見えないという不自由から人を解放します。

使われている技術が、何から人を解放しているか考えると、アイデアが広がっていくのです。

 

謎めいたことをするのがデザイン。

ちょっと人と違うもの。そして意味を問い直し、人を解放する存在。

デザイン思考でいう「似て非なるものを探す」とは、そういうことだと。

 

うーむ。かつて無職仲間と行っていた哲学ごっことは似て非なるものです。

デザイン思考という道具を使って、ちゃんと本質にたどりつき、答えが出ているのですから…。

 

では自動化とは?

 

本質論と似て非なるものとして、目的学があると、編集長はいいます。

たとえば、先日、家業であるウニ屋の「自動化したいという父の願望は、父親の中にある人嫌いでは?」という仮説が出た、と書きました。その仮説を編集長にぶつけてみたところ、「自動化とは?」という問いを解いているのではなく、自動化そのものは目的で、見えている手段(ウニのカラ剥きの自動化)から、どんな目的をもっているのか、立ち返るそうです。

 

すると、人嫌いというより、めんどくささが浮かび上がってきます。

利益を上げたい、競合に勝ちたい、俺の人生はこれで正しいんだという自己肯定を得たいという願望のほかにも、人とのコミュニケーションのわずらわしさに、めんどくささを感じているのではないか。

 

確かに、父はロシア語通訳でウニ屋の前はコミュニケーションの翻訳を中心的に行っていました。だから、これ以上のコミュニケーションは面倒なのかもしれませんね。なんと父の別の側面が浮かび上がってきます

 

「めんどくさい」は発展の原動力ですから、きっと否定するものではないのかもしれません。じゃあ、人が喜んで働くには何ができるのか…そうした次のステップに移れるのです。

 

人間を知っていく

 

実の親でありながら、話しづらく、聞きづらい父親。

デザイン思考を通じてまたしても家族の別の一面が浮かび上がってきました。

自営業とは自分を知っていく旅なのかもしれません。

そうなのであれば、もっともっとデザイン思考が学びたい!!!!!

 

編集長に「もっともっと、デザイン思考を学びたい!」といいました。

価値探しもしたいし、ビジポコを通じて世の中にある「なんか儲かるいい商売ないかな~」を解決する旅にも出たいし、自分と家族を知っていきたいし・・・

 

働くのが最高だと感じる瞬間です。もう、デュアル小遣いシステムを運用して親から金をせびっている場合ではありません。無という職についている無職は廃業です。そもそも親に小遣いをあげる年齢なのですから・・・。

 

ビジポコの学び

 

また今回もいろいろな学びを得て興奮してしまいました。知的な興奮です。

 

  • 無職は「無」という職についている(?) → 答えがでない問い
  • デザイン思考の問い → 問い直し作業
  • 技術とは   →  人を自由にすることで幸せにするもの
  • 目的学を用いれば、人嫌いというよりこれ以上のコミュニケーションがしんどい?という新たな仮説

 

デザイン思考でもっともっと、世界を解決していきたい!

価値を問いたいし、読者さんの価値も見つけたいし、、、ウニ屋だって年商10倍にしたいし、、、ああ、やりたいことがいっぱいです。ビジポコがもう大ブレイクする予感しかありません。熱狂しているのですから。

 

なお、デュアル小遣いシステムはクラッシュし、現在は真面目に労働に勤しんでいることを申し添えます。

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