
ビジポコ編集長に「行動観察」について教わろう!のコーナーです。
大学という場所にはいろいろな人がいますよね。これを書いているライターもいろいろな人のひとりでした。ある日の夕方、いつものように学内を歩いていると、『格差社会を考えよう』というセミナーと言いますか、学内のイベントが行われているとのポスターがはってありました。15年ほど前は今ほど格差はひどくなかったのですが、経営経済系の学部では格差がもっと広がると教えられたこともあり、学生としてそのセミナーに参加しました。
今回のビジポコは、『格差社会を考えよう』というセミナーで起きた事件についてお届けします。
●おしゃべりのネタとして、問題があることを喜ぶ人達もいる
●本人も気付いていない本質を言語化していく
をお届けします!
もくじ
いつまでも大学に張り付いている面々
15年前のある日、横浜国大で開かれた『格差社会を考える』セミナーは、そこそこ人が入っていました。ただし格差社会セミナーはいわゆる“フロント”だったのです。左翼系の大学ではよくある手法で、バックエンドにとんでもないサークルが隠れていました。極左サークル”自治会”と呼ばれる集団です。全共闘時代の生き残り集団とでもいうのでしょうか・・・。
格差社会を考えつつ何をバックエンドに隠していたかというとシリアやイラクの問題です。「他のセミナーにも来ませんか?」といわれ、悲惨な戦争(内戦)の様子を撮影した、巨大なポスターがペタペタ貼られていました。あまりに悲惨な光景です。
戦争反対セミナーで起こったこと
帰ろうとすると、主催者がやってきてつまかりました。爆弾で手足のふきとんだ小さな子供の写真(しかも引き延ばした写真)を机にたたきつけ「これをみてもなんとも思わないのか!」と言ってきたのです。可哀想で思わず目をそむけてしまいました。すると、セミナー主催者は、ニヤニヤしながら、とても嬉しそうにしていたのです。今でもときおり思い出す、嫌な思い出です。
アーティストとデザイナー、そしてさみしい人
この話を、ビジポコ編集会議で編集長河上に伝えてみました。
すると、河上はあることを教えてくれたのです。それが、「アーティスト」と「デザイナー」の違いです。
デザイン思考は、いまこのビジポコで私がみなさんとともに学んでいるように、デザイナーが問題を解決するかのごとく問いを解いていく手法です。では、アーティストとは何なのか?それは自分の内側の問題を提起する人達のことだというのです。
- アーティスト:自分の内側の問題を提起する
- デザイナー:自分の外側の問題を解決する
- さみしい人:問題について楽しく話す人達
に分類できるとのこと。
たとえば、環境汚染について考えてみるとき
- アーティスト:重油にまみれた渡り鳥の写真を撮影し、環境について問題提起する
- デザイナー:ダイオキシンを長期の視野で研究する
- さみしい人:鳥さん可哀想だよねっていいながら、どこか嬉しそう
となります。アーティストは「売れないアーティスト」という表現があるとおり、お金になるかならないかは関係なく、自己の内側に従って問題を提起するのです。一方、「売れないデザイナー」という表現は聞きませんよね。デザイナーは対価と引き換えに、問題解決に頭を悩ませるのです。
そして、さみしい人の存在です。彼らはそもそも、自分一人では話題を生み出せない人です。なので、アーティストたちが発見し、マスメディアで喧伝されたことを、マスメディアで話された論調と同じままに話します。(同じままにしか話せない)
この会話ほど心地よいものはありません。話すネタはテレビで見た内容でよく、そこには否定・肯定・喜怒哀楽といった論調がセットになっています。この論調3点セットはマスメディアを通じて流されているので、大多数が「そうだよね」と思う内容に仕立て上げられています。
よって話しても否定されることはないのです。自分の話を、うんうんそうだよね、と聞いてくれます。これほど楽しいものはありません。
そして、そういったことを話す集団は「問題に関心がある私たちって、いいよね」「問題に関心がない人は、社会にいたらダメよね」とご機嫌になれてしまうと河上は指摘します
クラブハウスは、さみしいヒトの巣窟
2021年に登場し一大ブームとなった音声コミュニケーションアプリのclubhouseクラブハウスも構造は同じだと、河上はいうのです。
クラブハウスでは社会問題が語られたり、マイノリティの地位向上が語られたりと、盛り上がっていました。しかし、河上がいうには、「彼ら/彼女らに問題を解決する気はあるのかな? 『こんなにつらいことが世の中には存在する』といいながら、その実は『問題意識を持っている私たち、それを語り合える私たちっていいよね』といった自意識のようなものが垣間見えます」とのこと。
そういわれてみれば、本当に問題を解決する気があるのではなく、むしろ逆で問題がないと話のネタに困る人達も一部いるのではないでしょうか?
ただし、と編集長河上は続けます。
「クラブハウスはラジオに似ていて、話す人と、聞くひとの2者が居てはじめて成立します。そのため、なんでも良いので話す人が必要なのです。その話は中身がある必要はないのです。そして、話してもらうためには、話している本人が楽しくなってくれる必要があり、それはまさに、さみしい人達の会話と同じ構造になるのです」
自治会は“えせアーティスト“で、最高で最低の営業マン
世の中には“えせアーティスト“もいて、問題をあちこちから持ってくるだけの人もいると河上はいいます。また、問題を拾ってきて解釈だけを提示し、右か左かつまり賛成化反対かによってフォロワーを集め、インフルエンサーになる人もいるとのこと。それはそのまま、お金に直結します。
きっと昔出会った自治会は”えせアーティスト”だったのでしょう。
手足のふきとんだ子供の写真ネタにして、自分の味方に引き込もうという邪悪な根性。嫌いですよね。すると編集長河上は、
「自治会の人がニヤニヤしたのは、(藤田さんが)お客さんだからですよ。仮に写真を愛おしそうにみて、キラキラした目で『爆弾で手足が吹き飛んだ子供の写真をもっと見せて!』というような人だったら、自治会にとっては顧客になりえないので、彼らはすごい勢いで去ったはずです。」
「写真に目を背けたということは、その写真に映った現実を否定する想いがあったから。自治会は、子供の手足が吹き飛ばされるような現実を変えようと宣伝していたわけですから、そういった現実を否定するような行動、つまり目を背けたら、それは自治体にとっては優良顧客を見つけたようなものです。そりゃぁ、ニヤニヤしますよ。」
と教えてくれたのです!
つまり、価値観になびくか否かをみたとき、傷ついた子供の写真から目をそむけた私は、彼らのまさにど真ん中のターゲットだったのです。
またしても、長年の謎といいますか、心の重荷がデザイン思考で解けました。
人が喜ぶ価値と、ビジネス
問題を解決する気は本当にない人達。そのことにすら自覚がない人達。「喫茶店で政権批判をするおばさん達や、会社の愚痴を言い続けるサラリーマンも同じ」と河上はいいます。文句があるなら、解決のために行動すれば良い。しかし、しないのです。
「実は、僕のダイエットも同じです」と河上はいいます。痩せなきゃ~といいながら、一向に痩せる気配を見せない編集長。。。
「そもそも痩せるつもりはないけれど、興味があるからおしゃべりはしたい。お話が目的で、本当に解決するつもりは毛頭ない、これが、問題があると喜ぶ人達です。」とまでいいます。
この手の人達は、誰かとお話しするネタがもらえればそれでいいのです。
そんな彼ら/彼女ら向けに作られているテレビ。テレビはコロナの恐怖を煽り、CMが明けるとオリンピック反対を声高に叫び、さらに次のCMが明けるとメダリストを讃える・・・。
そこに垣間見える一貫性は番組としての主義主張ではなく「話題提供」だけ。需要と供給が一致しているので、今日もテレビは続くのです。
ビジポコの学び
編集長河上は言います。
「デザイン思考は人の行動や発言から、その人達さえも言語化できていないニーズを読み解いていきます。それを、エスノグラフィ、もしくは行動観察と言います。本来は、人類文化学にて使われていた調査方法ですが、それを新規事業にカスタマイズして転用しています。」
「問題があると嬉々として話すので、一緒に解決しようと声をかけると嫌がる人たち。それは論理が矛盾しているわけでも、頭がおかしいわけでもないのです。彼らは、”話をして人と共感したい”のです。問題は、問題だと話せば、それ問題だねと共感してもらえます。だから、問題があることを嬉々として喜ぶ。」
「そういう価値観を見つけられると、そこに刺さるアイデアを考えられるようになり、ヒトの心を掴む商品やサービスが開発できるのです。だって、そもそも好きなことをさらに楽しませてくれるものを供給したら、喜んで買ってくれるでしょ。」
今、ただ話したいだけになっていませんか? そして気分良く話せるサービスに踊らされていませんか?