個人の稼ぎを上げて、水道水を維持しよう

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みなさんこんにちわ。編集長の河上です。

 

編集長の河上は時々ヒマになると、行政のご支援を0円で引き受けています。

今期は、愛知県南知多町と、三重県伊賀市のダブルヘッダー。

南知多町では行財政マネジメント総合政策アドバイザーを拝命

伊賀市ではDX戦略アドバイザーを拝命

 

創業まもないコンサルティング会社がなぜそんなことをするのか?

今日はそこから、少しお話をしていきたいと思います。

最後は、なぜか金だ!という世知辛い話に到着するのですが、みなさんがビジネスで成功することで、蛇口をひねれば水がでる当たり前の日常を続けることに繋がります。

新規事業やDXは、地域をも救う。そんなお話です。

 

なぜ無償でも支援をするのか?

編集長河上は何者なのか。

肩書きはいくつかあるものの、単純にいえば、新規事業やDXを進める際の”考え方”の専門家です。

専門家になるまでには、小学校から始まり大学院まで学校教育で育成されてきたわけです。街の図書館も散々使いましたし、国会図書館にもかなりお世話になった人間です。

 

日本社会は科学を推し進めることでここまで発展してきた社会です。

科学はどうやって進化するのかというと、通常のビジネス活動を通じて生み出された利益を税金か研究室への直接課金でお金を回して、研究することで前に進んでいきます。

つまり、専門家や研究者というのは、社会のお金を使って好き勝手に好奇心を満たして、知識を貯めて、コネコネして、新しいものを生み出している脛かじりな生き物なのです。

なので、社会に対して知識を無償で還元するのは当たり前のことなのです。

 

もちろん、資本主義社会では全てを0円で賄うことはできないので、責任と引き換えに有償で引き受けるプロジェクトがたくさんあります。ただし、100%有償では社会への還元ということにならない。

単純に自分が知的好奇心で集めたものを使い、自分だけが勝てばそれでいいというのは、虫が良すぎる。というか、社会から投資されてきたのに、それはありえない。

というわけで、前職のIBMとかデロイトが民間相手に引き受けるとしたら数千万円みたいなことを0円でやっているわけです。

 

 

とまぁかっこよく書いてみたのですけど、当然、それだけなわけもなく。

結局のところ「専門家」という生き物は、好奇心の強い生き物なわけです。その分野が好きなので、どんどん深みにはまる。ヒマさえあれば、色々と新しい概念を見つけたり、より短時間で伝わる比喩を考えたい。考えるためには新しい情報が必要なので、話す。話して、情報を得て、考える。これが楽しいわけです。

そういう話し相手を確保するために、様々な支援をしているようなものです。

そうして得た新しい概念は、(もちろん守秘義務を担保した上で)有償支援の質向上や、ビジポコに還元されるわけです。

そしてここに書くと、新しい依頼がきて、新しい発見が・・・・・。

と、どこまでもこの分野が好きなわけです。お金を払ってでもやりたいプロジェクトがあるようなものです。でも払えないので、かわりに時間を使っているわけです。

専門家は使われることで作られるので、専門家は酷使すべきだし、本当に社会によって作られている生き物なので、ガンガン使い倒して欲しい。(ビジポコ相談室も是非ご利用を。笑)

 

地域行政を支援して、見える世界

支援している行政から、編集長をしているビジポコに書いた「c. 他の市区町村に勝つための行政施策の検討と、実施段階でのデジタル活用」。

これでいきたいと正式に依頼があった。

詳細は、こちらに記事があるので是非読んでみてほしい。民間企業でもヒントがあると思う。

 

この記事は、「自治体のDX戦略やDXビジョンは、どういった進め方で作ればよいのでしょうか?」という質問から書かれている。

誰かの質問が、別の街で実装されることになったわけだ。

 

おっしゃやったるぜ!ということで、ゴリゴリ前進。地方行政の新しい進め方を試していこう。

 

ごみ収集とか学校とか、地域行政がになっていることは多い。

なので、ある意味では国政よりも地域の方が大事だろうと個人的には思うのだけれど、地域行政が優秀すぎてあんまり意識がされない。ごみ収集がその日忘れられていた、とかいう事故に出会ったことのある人は果たして何人いるだろうか。

 

そういう優秀なはずの市町村でどこでも共通する課題は、

・長時間残業

・PDCAを回していない(回せていないではなく、回していない)

・議会-首長-行政職員で意思決定者が明確にならず方針が決まらない

・業務改革?何それ美味しいの?(これを前例踏襲と言ったりする)

・職員に温度差があり指示待ち人間がいる

・そもそも業務命令がストレートに通らない

・ロジカルシンキングができない・・・など。

みなさん「恥ずかしいことに・・・・」と言いにくそうに切りだしていただくのだけど、大丈夫。民間だって同じだ。

 

 

そもそも命令不服従なんて当たり前

そもそも命令不服従なんて当たり前にある。みなさんの勤める会社でも、上司が発した命令が1つの取りこぼしもなく全て実行されるということの方が奇跡だろう。

そうこうしているうちに、業務の優先順位を自分たちでつけ始める。例えば今季の売り上げ目標を追いかける方が優先で、新規事業検討はよくわからないし後回しにしよう。みたいなものだ。

新規事業でなくても、IT企画部が連れてきたITベンダーがシステム要件を聞きたいと言ってきた時に、面倒なので「今と同じことができればいいよ」とだけ答えて終わり。こうやってサポタージュは静かに進行していく。

もっと露骨なものは、部長、課長、係長、メンバーで打ち合わせをした後に、メンバーが「係長、部長は最優先だと言っていましたけど、今この仕事を進めています。どちらをやりますか?」と質問したとしよう。これだけで、最優先だと命令された内容を、実行するかどうかをプチ会議しているようなものだ。

 

これは日本だけの話ではない。

あのソ連のゴルバチョフ大統領だって「不思議なことに私の下す大統領命令は、各官僚組織に置いて実行すべきかどうかまず検討されている」と語ったことがある。あのソ連でこれなのだから、そもそも組織で命令が通らないことぐらい当たり前だ。

唯一、それをさせないのが軍事組織だ。反抗したら銃殺刑。それぐらいしないと、人は実行しない生き物なのだ。

 

PDCAを”回さない”?

PDCAを回せない、回さないというのは民間企業でもよくある悩みだ。最近はPDCAから逃げ出して、OODA(うーだ)だ!とか言われはじめている。専門家からすると、名前は何でもいいので、やってみなければわからない事が出てきたら実行してみて、結果を踏まえて再考するという当たり前のことを、当たり前にやれよ、と思うだけだ。

ループを回すことで最も重要なことは、学習できる組織だ。詳細はDXを実現するために必要な”組織”は、「ループを回し学習できる組織」に書いたのだけれど、重要な部分を少し長いが引用してみよう。

一人の人間が、誰かと食事場所を探すときことを考えてみよう。

 

Aさん:ねーねー。ランチ行こうよ。

Bさん:いいよ。どこいく?

Aさん:近所のイタリアンは?

Bさん:うーん。いいよ。(ちょっと困った顔)

Aさん:ん。他にする?その隣の、おにぎり屋さんは?最近できたトコ

Bさん:あ!いいね。そうしよ!

 

ポイントは、「うーん。いいよ。(ちょっと困った顔)」を、Aさんの視覚が捉え、違ったかと判断し、別の店を提案したことだ

個人ではこのように、相手が発するシグナルを見落とさずにすくいあげられる。一瞬顔が歪んだのを見てから、別の提案をするまでの時間は0.2秒ぐらいだろう。時間の長短は問題ではない。重要なことは「相手のシグナルを認知」「判断」「別の提案をする」という構造が備わっていて、機能していることだ。

そして何度もAさんがBさんが誘い合う中で、「相手のシグナルを認知」【学習】「判断」「別の提案」というように、「学び」が入ってくる。この学びにより、相手の欲しいものを”察する”ことができるようになり、提案の精度が高まる。

 

改めていうが、重要なことは『相手のシグナルを認知 → 学習 → 判断 → 別の提案』という構造を持つことだ。この構造のどこが欠けても、ダメ人間だと言われる。

認知できなければ、察しの悪いヤツ。

学習できなければ、またそれ?

判断が間違っていると、アホなやつ。

提案がなければ、身勝手。

 

ループ型でビジネスをせざるを得ない中で、この構造を持っているかどうかが、最も重要なポイントだ。個人・フリーランス・組織と何が主語になろうとも、必要であることは変わらない。人間の原理が変わらない限りは、この構造を持たないと、誰かが欲しいものをラッキーパンチ以外で当てることはできない

主語の中で、この構造を持つことが一番難しいのは「組織」だ。

 

現場担当者が、ブチぎれる仕組みが見えてきたのではないだろうか。

認知、学習、判断、行動の一連の構造のどこかが崩壊しているから、現場でとってきた情報が生かされず、トンチンカンな反応になり、現場担当がブチっとなるのだ。

 

役員や社長がバカだから、学習できなかったり、判断を誤るのだろうか。

いいや、違う。

思い出してほしい。人間の原理をひっくり返した「逆に考えると、目の前に出されると、欲しいか、要らないかはこの上なく明確に語れるようになる」ということを。

つまり経営会議にまで「シグナル」が届いていないのだ。いくら目の網膜が相手のシグナルを捉えていても、視神経が途中で切れていたら、情報は脳に伝わらない。

 

PDCAが回らない時に、まずは「認知 → 学習 → 判断 → 別の提案」というような構造があるか。もしくはその構造が動いているかを確認するべきだ。

 

行政でPDCAを回”さ”ないのは、民間とはちょっと違う

行政でPDCAを回さないというのは何が起きているのか。ものすごく端折ってざっくり説明すると、やるべき事業があると、外部ベンダーに発注して、上がってきた結果を眺めて、今季はこういう結果でした!と報告して終わるということ。そもそもその先がない。

議会も、「ふーん。そういう感じだったんだ。」「来年はどうするの?」ぐらいで、深く突っ込んだりしない。下手したら寝ていて聞いてない。都議会議員には出席すらしないおばさんがいるし。

 

 

これは何が起きているのだろうか。

そもそも、事業を実施すればいいので成功・失敗という概念が希薄だ。ベンダーが行った結果が成功か、失敗かはあまり気にされない。なので、実行されたかどうかが重要なのだ。

民間の感覚からすると、実行すればそれでいいというのは気持ち悪いだろう。思わず、「これだから行政はダメだ」と思考を端折りたくなるが、現実はそう簡単なことではない。ここまでも相当面倒だったのですけど、さらに面倒になる。

この、「実行されたらそれで終わり」ということになぜ至るのか。その構造を理解するには、行政が対象としている「社会問題」が抱える構造を理解する必要がある。

社会問題を対象に研究していたことがあるのでわかるのだけれど、社会問題は複数の要因で発生しているので、何か手を打ったところで結果が出るとは限らない。複数の要因の全てが見えていればいいのだけれど、そんな簡単ではないのだ。

 

社会問題への対処結果は、成功、失敗が見えない

例えば、保育園の待機児童問題。

待機児童数=預けたい親の家庭にいる子供の数 – 保育園で預かれる人数

ざっくりいうとこういう図式だ。

 

この受給が一致すると、誰にもなにも文句を言われないですむ。だが、これは難しい。

「預けたい親」の人数をそもそもコントロールできない。景気が良くなれば募集金額や募集人数が増えるので働く親が増える。2000万円足りないと煽られたら不安になり、パートでも働く人が出てくる。そういう景気変動や、国政を受けたマスコミの煽りで大きく変動する。それに行政は就業支援をするので基本的には増加する構造にある。

「保育園で預かれる人数」は、床面積もあるし、そこに勤める先生たちの人数でも変化する。先生も一人の人間として生きているので、転職はするし、結婚して引っ越すかもしれないし、交通事故で長期離脱するかもしれない。コントロールなんてできない。

じゃぁ、子供よりも預かれる人数がちょっと多くなる状況をキープすればいいかというと、それをやると税金の無駄遣いだと市民や、議会から怒られる。というか、そもそも地域行政は金がないのでそういう無駄遣いは基本しない。

 

どうだろう。

保育園の待機児童数を減らすために、床面積を増やしたり、先生を雇用したとしてそれだけで全てが語れないのだ。景気変動で求人が減れば子供を預ける人は減り、枠が余る。

丙午(ひのえうま)で出産数が下がり枠が余る。

こういったことが入ってくるので、事業を行って、その結果として得たい成果が手に入ったのかどうかが判断しにくいのが、社会問題なのだ。コントロールできる範囲が小さいからこそ、因果関係の評価ができないのだ。

 

なので、目の前に見えている問題、例えば待機児童数の変化をPDCAでみていくことの意味があるのかがわからなくなるのだ。

そうこうしていくうちに、PDCAが形骸化し、事業を予算通りに実施したかどうかが確認になっていくのだ。

 

ひるがえって、行政の目的・目標設定の話

社会問題の評価が難しい、というか事実上できないことが多いのは先に書いた通りだ。だけれど、これだけがPDCAを回さない原因ではない。他にも原因がある。

 

別の原因は何かというと、そもそも目的がはっきりしていないことだったりする。

ここには、日本語の使い方が強く影響する。

例えば目標欄に「〜を目指します。」と書かれている。

「目指す」だけでいいのであれば、期が開始した瞬間に、2~3秒思い悩んだらそれで目標達成だ。

編集長河上なら、こんな目標設定を後輩がしてきたら絶対に通さないし、上が設定したら必ずクレームをつける。

こういう単語レベルで、人の思考や行動は縛られてしまう。良くも悪くも。

 

行政における究極の目的設定

過去に「ぶっちゃけ、あと何年地図に町名を残すつもりなんですか?」と聞いたことがある。というか、結構いろんなところで聞いてる。

そこに明確に答えはなくても、基本的な選択肢は簡単だ。

  1. 単独で残り続ける
  2. 合併する:吸収する側で名前を残す
  3. 合併する:吸収されて名前が消える
  4. 消えて終わり

こういうことも、目的や目標をはっきりさせることにすごく役に立つ。

選択肢は単純だけれど、どれを選ぶのかでやることは変わる。

3番で吸収合併されるにしても、どうしたら有利に合併できるかは作戦を練る余地がある。

こういう究極の問いを考えることが、目的をシャープに研ぎ澄まし、やるべきことをはっきりさせることに役立つ。

 

終末を予定する組織で、雇用を守るとは何か

これはある企業の労組の方に差し込んだアイディアだけれど、「雇用を守る」と言った時に、その企業での席を確保することがイコールでない時代がきている。企業で席があるということは、その社員にとっては給料という名前の現金を手に入れるための「方法」でしかない。

では、この給料を得るための「方法」を別の手段で担保できないかが焦点になる。

こういうのどうだろうか、と考えるわけだ。

 

例えば、上司が毎年の年次評価の時に、転職の推薦状を書いて渡してあげることで、その個人がどこに行っても働けるように支援することだって、雇用を守ることに繋がる。

決してその職場、例えば役場に縛られる必要はない。

こういう制度を含め送り出す気満々でいながらも、職員から選ばれ続ける職場であることが、最強に繋がることもあるだろう。

そしてこういう仕組みが回っていれば、合併で職場が消えても大丈夫だ。

 

 

みなさんの会社は、「消滅する」と名指しされたことがあるだろうか。

自治体は、人口推計からすでに名指しされている。

そういう中で過去のしがらみも背負った上で、「DXだー。行政改革だー!」と取り組んでいる。その心意気は、正直、民間で適当な依頼をかけてくるような担当とは全く違う。

 

 

僕ら住民と、行政の深い繋がり

蛇口をひねれば飲める水が出る。

う●こをしても、流してすぐに目の前から消せる。

ゴミを出したら数時間後には持っていって処理してくれている。

子供を送り出せば面倒見てくれる。

道を歩いていて穴で転ぶことがない。

そういう当たり前の日常が、人口減少とともに崩壊しようとしている。

 

これは何の比喩でもなく、すでに財政的にアウトで、優先順位を決めてもう金を払えないという事業が行政の中で出始めている。

そういう意味では、崩壊は始まっている。

それに対して真正面から、行政職員は向き合っている。

今日も我々が、水を使えるのはどこかでそれを維持している人がいるからだ。

議会向けの資料、業者向けの資料、次年度への申し送り。

そういう”紙”に心血を注いでいる人がいて成り立っている。

民間の我々にできることは、とにかく金を稼いで税金を払うことと、行政を食い物にせず問題を解決するために協力できるときは、協力をすること。

それはどんなことだって、彼らを救うし、彼らを救えば、我々が水道水を飲み続けられる日が1日、1日と伸びることに繋がる。

 

というわけで、正月に美味しい餅と、日本酒を味わうためにたくさん稼ごうではないか。

そのためにDXを成功させてボーナスをもらうでもいいし、新規事業や、個人で副業を初めて5万円ゲットするのでもいい。

そうして得た中から税金を払うもよし、ふるさと納税をするもよし、交際費として地元の飲食店で使い切るもよし。使えばそこから幾らかは税金に回る。

あなたの成功が地域のためになり、結局はそれが自分のためになる。事業を成功させて、ガンガン稼いでいきましょう。(何だこの締め笑

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