あなたにとって豊かな社会とは何ですか?

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豊かな社会とはなんだと思いますか? モノが行き渡った社会は豊かでしょうか。心がつながっている社会は豊かでしょうか。自然環境に配慮した社会は豊かでしょうか?

 

たとえば、生活保護を受けていながらスマホを持っている人はたくさんいます。何の問題もありません。ただそれをもって豊かな社会かというと、違うのではないか。

 

行政が提供する福祉という社会との接点によって、お風呂の介助や買い物のお手伝いや身体のケアなど、介護が主軸となっています。お困りの方が最低限暮らせるように、最低限、命をつなげるようにする、、、ただそれだけで良いとは限らないのです。

本当にそれだけでよかったっけ? という問いかけを、編集長河上は抱えていました。

 

今回のビジポコは、編集長河上が15年間抱え続けた「豊かな社会とは」という問いへの答えをお届けします。

人には“平均より上”という願望がある

昔と比べて、今は便利になりました。ご飯だって家事代行サービスを頼めば立派な家庭料理を作ってもらえますし、宅配も充実しています。買い物代行はもはや不要ですし、掃除だってルンバとブラーバを連携させれば自動でピカピカに。洗濯物を干さなくとも乾燥機付き洗濯機がほかほかに仕上げてくれます。

 

自分でも家事をしつつ、自分だけで頑張らないようにすることも以前より簡単になったのです。生活を営むのはより簡単になりました。

これは、要介護の方など福祉を受給する方々の生活を維持することも、社会的には簡単になりつつあるということを意味します。その一方で、福祉を受給する方々を守るための制度が、もしかしたら彼ら自身を苦しめている可能性があるのです。

 

河上「福祉を受給するためには、まず障がい者手帳を取得する必要があります。手帳があると、福祉を受給できるようになります。良いことである反面、自分は守られる側であるということが、普通の人よりも自分が劣る存在だという、劣等感にも繋がります。」

 

「一方で人には、“平均より上でいたい“という願望があることがわかっています。これは誰にでもある願望です。自分は平均より上だと思いたいのに、障がい者手帳を持ってしまうことで全般的に劣っているという抗えない劣等感が生まれる余地ができてしまう。でも、手帳を取得しないと生活が成り立たないので持たざるを得ない。」

 

「この矛盾が、僕には豊かさへの鍵に見えます」

 

 

左手だけでカップラーメンを食べようとすると

それは、「構造によってそうさせられている、とデザインでは考えるんです」と河上はいいます。

 

「たとえば、左手だけでカップラーメンを食べようとすると苦労しますよね。かやくをくわえて開けて、こぼしてイライラして、お湯を注いで、蓋を閉じるのにも一苦労。これは、左手しか使えない人が悪いのではなく、デザインが悪いのです。カップラーメンは、両手が使えることが前提で作られているので、片手しか使えない方は食べにくくさせられている。カップラーメンですら、食べるのが困難な人がいるということを理解する必要があるのです。」

 

たしかに、左手だけでカップラーメンを食べようとするとすごく困難です。そして世の中には左手しか使えない人もいますよね。

 

「同様のことは、視覚障がいの方々にも起こります。視覚障がいの方々に仕事をお願いといっても、出社しなければならない仕事であれば、当然ながら出社しなければならない。出社する過程では、道を横断します。視覚障がいの方へインタビューすると、道を渡る時は、轢かれても仕方ないと死を覚悟しながら道を渡るのだと言います。試しに道路で目を瞑って立っていて、いまだと思って目を開けるとすぐそこに車がいる。もしも僕なら、その場でもう終わりなわけです。視覚障がいの方の出社は、本当に命懸けなのです。それを強制している。これはデザインが悪い。時代が進んできているので、死を覚悟する出社をしなくて良い仕事だってあるはずです。」

 

たしかに。

そして、河上は「自分もメガネをかけているので、視覚の障がいという意味では、カテゴリーは同じです。でも、僕は程度が低いのでメガネという文明の利器に助けられて、何の問題もなく日常を過ごせています。メガネがなかったら、小学校の遠足でいった登山で足を踏み外して死んでいます。しかしそうはなってないし、街中でメガネをかけた人達も当たり前にいて、誰もメガネをかけた人を見て驚いたりはしない」というのです。

 

これは、デザインの問題なわけです。

 

 

助けることだけが福祉なのか?

家族が保護している引きこもりの問題。内閣府が発表した「若者生活に関する調査」によると、100万人を超えているそうです。70-40問題(40代の引きこもりを70代の親がケアする)が80-50問題(50代の引きこもりを80代の親がケアする)に繰り上がっています。

 

これが、数万人ではなく、数十万から100万人もいるのであれば、それは何らかの社会構造、何らかのデザインによって生み出された存在であり、「そうさせられている人達」ではないかと河上は指摘します。

 

 

 

包丁を持って暴れる人

最近、ガソリンをまいて火を放ったり、包丁を持ってウロウロしたりする人が立て続けに現れる世の中になりました。彼らのことをSNSに流れる動画や写真で見ると、まるで「暴力でしか社会に参加できなかった」ように見えます。

 

たとえば、2021年11月9日に調布駅近くで包丁を持ってうろついていた男性は、警察に「刃物を捨てろ!」といわれたとき、まるで笑っているかのように見えます。本当に誰かを傷つけることが目的なのだとしたら、警察に反発するか、もしくは捕まることを恐れて逃げると思います。

ところがこの包丁男は、雨に打たれながらすぐに手をあげて、包丁も素直に足元に落としています。画像が荒いので、表情ははっきりとは見えません。でもまるで笑っているように見えるのです。

編集長河上には、これが「暴力でしか社会に参加できなかった」ように見えたというのです。「警察官から呼び掛けられるよりも前に、この包丁男が他人から声をかけてもらったのは一体いつなのだろうか。声をかけてもらったことがすでに喜びなのではないかと感じる」というのです。

 

「ひきこもり。こどおじ。社会はそういった名前は与えたものの、彼らの”孤独”と世の中は向き合ってこなかったのです。社会はそうした人の孤独を見て見ぬふりして対策を実装してこなかった」

 

 

福祉課の書類は「作品」と呼ばれる

「ある市役所では、市民の方々が暮らしていけるように、申請と適正な調査をもとに福祉の申請書を書き上げ、その書類を「作品」と呼んでいます。申請書類を作品と呼ぶのは、役所で働いている方がその紙にこそ一番の価値があると認識していることの証です」

 

「ただし、本当にそこで終わりで良いのか、は考えなければなりません」

 

「これまでの福祉は、あくまでも生きていけることを補助するまででした。科学技術が進み、新品のルンバがブラックフライデーで2.5万円で買えるこの時代に、書類を作るまでで終わって良いのか。書類を作って終わりというのでは、1990年代のワープロ時代から変わっていないのではないか。」

 

「独居老人が増えていくこれからの時代に、「独居老人が幸せに暮らせる町」はまだありません。心の孤独と向き合う福祉は、本当になくていいの? 死なないぐらいに生きられる世界は実現できているけれど、本当にそれだけでいいの? は考えないといけないのです。」

 

従来、福祉は社会生活を営むのが困難な人に金銭的な補助が多かったのです。それが社会福祉の中心でした。現代では質を求めなければ、中古のテレビが1万円で買えてしまいます。では、テレビを見続けるだけの人生は、豊かな人生なのでしょうか。

 

たとえば、クレーマー対策としてチャットボットを導入したり、公式の電話番号を隠したり。

社会が、無駄だと切り捨てて合理化を突き詰めた結果、どこかで何かが大爆発してみんな傷つく。ただ、いま福祉で頑張っている職員さんは、本当にギリギリのところでお仕事していただいていて、今以上にもっとやれとはいえない。

 

そこで、何ができるか。

編集長河上は「福祉で町おこしをすれば、次世代の福祉が提供でき、豊かな社会を作ることができる」そう言い出しました。

 

豊かな社会

豊かな社会とはどんな世界だと思いますか?そう突然聞かれても、すごく困ると思います。

編集長河上は、これを15年もゆらゆらと考えてきたと言います。そして、ようやく豊かな社会が少し見えた、と言います。

 

例えば、メガネをかけて街を歩いても、誰もジロジロ見てきません。メガネは普通のことと社会に溶けているのです。

これが豊かさだと河上は言います。「健常者以外の人が、当たり前に社会に参加している社会こそ”豊かな社会”ではないか?」

 

先ほど、「視覚障がいの程度が低いから、メガネで補うだけで普通の生活が送れる」と書きました。科学技術による身体機能の補完(メガネ)と、社会にいる人々の受容の両方が実現して、この【普通】が作られています。

 

では例えば、コンビニのレジで義手・義足の方がお会計をしていたらどうでしょうか。我々は、メガネをかけている人と同じように、そもそも興味すら抱かず、ジロジロ見ずにいられるでしょうか。

見慣れていなければ、思わず見てしまうと思います。これが、社会としての受容性を下げていることの現実です。

 

この現実に対して、障がい者福祉で町おこししようとすると、大きな革命をおこせます。

例えば、最高の義手、最高の義足が手に入る町は、世界のどこにもまだ存在しません。メガネで有名な福井県鯖江市、金属加工といえば新潟県燕三条。こういう地域はまだ存在しません。(個々で有名な企業はいても、地域としては確立していない)

 

河上は福祉での町おこしについて続けます。

「そこで、義手義足の方への支援を手厚くすると同時に、義手義足メーカーと関連する研究者のカンファレンスを誘致します。これはプラットフォームの考え方です。利用者と、供給者を結びつける。義手義足は体に合わせる必要があるから、ECサイトで終わりというわけにはいかない。だから物理的な街がプラットフォームになる。」

「メンテナンスとして年に1回でも訪れてくださる方が増えれば、街中で義手義足のかたを見かけるのは普通になる。そうするとその地域では、珍しくもなんともないものになり、メガネと同じく【普通】になります。」

 

「義手義足を例にしましたが、いまは障がい者と区別されている人が、メガネと同じく【普通】になる。豊かな世界って、そういう世界じゃないでしょうか。」

 

なんらかの障がいを持った人達が、メガネと同じようにそこら辺にいる世界。。警察官に包丁を捨てろと言われてニコニコする現代は、豊かな世界じゃないわけです。

 

 

ビジポコの学び

あなたにとって社会課題を解決するとは何ですか? 編集長は「豊かな社会とは」と15年間考え続けてきたそうです。メガネでは鯖江が有名なように、義手義足の町●●だってあっていい。義手や義足で町おこしです。

 

ここで、藤田はある疑問が起こりました。サン宝石という子供に人気のおもちゃジュエリーの会社は、山梨県が宝石の町だということから誕生したようです。でも、義手義足の町●●は、いきなり現れてよいのでしょうか? その質問を河上にぶつけると、「お台場のガンダムだっていきなり現れて聖地になりました。歴史的な経緯は地元のお年寄りが納得する程度のもの。それより大切なのが本気度です。名目はなんとでも立てられるので、どれだけ腹に据えてがんばれるか、です」

 

とのこと。ビジポコとしてデザイン思考で社会課題を解決するとなると、今回のような答えが浮かび上がりました。

 

 

あなたにとっては社会課題を解決するとは何ですか?

 

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