契約書を詳細に詰められるかで有能/無能が決まる

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人を有能か無能か決めるのは何の要素でしょうか?

 

仕事は他人とともに働き、また行動しますから、そこには約束が生じます。約束をきちんと守れたら、それだけで有能です。「今日の打ち合わせはスキップさせてもらおう」「期日までに成果物ができあがっていないけれど、よしとしよう」ではいけないですよね。

 

では、ビジポコ編集長・河上がGoogleに問い合わせた際に感じた、有能無能の本質について掘り下げつつ、フリーランスや外注はどう振る舞えば有能だと判断されるのかについてをお届けしていきます。

 

Googleは顧客層にレベルを合わせる

 

諸事情でGoogleに問い合わせをしました。Google Oneに電話をしたのです。そこで、編集長・河上は「Googleのサポートってあまり有能ではないな」と思ったといいます。サポートとして1日中、顧客とオペレーターの日程調整だけをする人、決まったオペレーションで回答する人・・・そしてヘルプの文字も読まないで電話をする人(つまり編集長のような人)に対応するための人材レベルはそれほど高くなくていいとの判断なのです。

 

もちろんその仕組みを考えた人は有能だと考えられます。顧客の層に合わせて人材レベルを合わせるという合理的な判断をしているからです。

 

顧客層のレベルに合わせた適切な人材を配置する。

有能でその分時間単価の高いGoogleの正社員がオペレーター役をするのではなく、必要とされるノウハウや仕事に応じて人のレベル感を切り分けているのです。その仕組みを作った人はとてつもなく優秀ですが、オペレーションするだけの人は日本語で決まった内容を会話できれば務められます。

 

そして、人間が対応した方が嬉しいという層もいますから、それらに対応するためだけの人を設置しているのです。

 

河上「人材を適材適所に配置するというのは、言い方は悪いですが能力が低い人を上手に配置し、『部品』として人間を使い分けることを意味しています。」

参照:アメリカの丸亀製麺から考える日本でDXが進まない本当の理由 btrax

https://blog.btrax.com/jp/japan-dx-challenges/

 

たとえば、うどんを提供する丸亀製麺のアメリカ店では天ぷらを揚げる人に過剰な品質を求めていません。アメリカでは使い分けをしている。同じ概念で、Googleもまた日時を受け付けるだけの人を設置し、電話オペレーターに過剰な品質を求めていないのです。

正社員誕生前の職人と現代のフリーランス

 

「この国に正社員制度が生まれる前は、職人しかいなかったのです」と河上はいいます。

 

正社員が生まれた背景には経営判断がありました。昔は職人しかおらず管理が大変だったのですが、雇用を保障したところ「経営者のようにコストカットや工程の検討を指示もしないのにし始めた」ことから、経営者にとって都合が良いので、身分と雇用を保障する「正社員制度」が普及したのです。

 

かつては正社員として働く人々は少数派で、その代わり「職人」が働いていました。かっこよくカタカナでいうと、”ギルド”という職人の野良集団がいたのですが、例えば絵描きが王様の絵を描く際、誰が描くか?という採用の問題がありました。

 

どのフリーランスを採用すべきか?という問題には

 

現代でも「どのフリーランスを採用すべきか?」という問題がありますが、河上によれば昔も同様に職人を採用するとき何で選ぶかという問題があったそうです。王様の絵は誰が描くべきか。2つのパターンが考えられます。

 ①権威付けて、教授にする

一つの案として考えられるのが、権威付けです。技術そのものよりも「権威」を人工的に作り、その権威を持たせた人に描かせる手段。学校を作ってその中で偉い人が対応するのが喜ばれるというのがその例です。現代でも、大学病院の偉い先生に診察をしてもらえるとありがたいですよね。

 ②自由に描く

 

一方で、権威には興味を示さずに、実力を磨くことに情熱を傾ける職人気質の人たちもいます。彼らをギルドと呼びます。技術を見抜くことができれば、職人に依頼するのも選択肢の1つに入ります。

 

 大企業の導入事例には意味がない

 

話を現代に戻しましょう。

フリーランスや外注先企業を選ぶときに、「大企業の受注経験があります!」といえば「おおっ!」となるかもしれません。

他にもSaaS(クラウド型サービス)の導入事例で「あの大企業もお使いです!」と書いてあると、「おおっ!」となるのではないでしょうか。

 

しかし「おおっ!となって終わりですよね。自分に役立つとは限らない」と河上はいいます。「上場企業に導入されていると言っても、金額が100万円以内なら部長課長でも出せてしまうので、導入されていることに意味はありません。上場企業からの受注実績として意味がでてくるのは最低でも数千万以上の金額からでしょうか。」

ジョブディスクリプションなしに起こること

 

日本の正社員制度の誕生時には、支持していない経営者が本来やるべき仕事も勝手に忖度してやってくれる、という便利な側面から始まっています。細かく決めなくてもお任せで働いてくれて、人員の足りない地域にいつでもどこでも転勤させられる。まさに経営者にとって都合の良い存在だったのです。

 

正社員の制度(文化)が続いているからこそ、昨今増えたフリーランスと企業の関わり方も正社員文化にひっぱられているのではないでしょうか。

 

つまり、現代日本のフリーランスが契約書の範疇を超えてたくさん働いてしまうのは、発注者側も「契約の範囲で仕事を依頼すること」に慣れていないからだと河上は指摘します。

 

これをカタカナで書くと、「ジョブディスクリプション」になります。仕事の範囲を明確化し、それに伴った報酬を期日に支払う。その交換で契約が成り立っているはずです。しかし、実際のフリーランスや外注の現場では、「これもやっといて(ただし予算内で)」「よろしくやっといて(ただし追加報酬なしで)」が通ってしまう状況があります。発注側が忖度を求め、受注側も失注を恐れて無償労働してしまう、歪な関係が見えてきました。

 

有能なフリーランスを見分けるには

 

では、どうしたら関係を正常化出来るのでしょうか? それは発注側も受注側も、契約を守ろうという意識を双方に持ち、お互いに約束は守るという前提で働くこと。つまり関係性の再調整であり、有能か無能かは細かく契約書を詰めて、守ろうとする姿勢があるか、で決まると河上はいいます。

 

仮に発注側が契約にないこと(お願いしていなかったこと)を受注側にしてもらい、そして1次受けの受注者がさらに2次受けの人に無理をお願いすると、”無能の再生産”になってしまいます。優秀なフリーランスほどリスクを見抜いて逃げていきますので、そのうち1次受けの人は仕事がまわらなくなります。

 

仕事をちゃんと回していくには、受注者側も「それは契約外です」と断ったり、別料金をお願いしたりなど、自分たちからも指摘をして顧客との関係を調整していく必要があるのです。

 

有能なフリーランスと仕事するために、自分も契約書を守り、同じぐらいの意識で守ってくれるフリーランスが、結果、有能なフリーランスだと考えられます。

 

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